万年筆のペン先を研ぐという行為
ネットの世界で“万年筆”を検索すると、まず間違いなく“ペン先を研ぐ”行為にぶち当たる。
ある御仁に至っては
“『万年筆は使って馴染ませるものというのは幻想だ!』”
とのたまっている。
まるで、『万年筆はペン先の調整をしないと使えない』代物であるようだ。
この風潮に私はストレスを感じる。
確かに、店頭で売られている万年筆の中には酷いものが含まれているのもある。
自分もネット通販などで外れを引いた経験もある。
しかし。。。。である。
何でもかんでも削ってしまうのはいかがなものであろうか?
私はこの風潮に否!と言いたい。
ちなみに此処で言う『ペン先の研ぎ』とは、ペン先調整含む販売等に関っていない(つまりプロでない)方々がアマチュアとしてやっている行為のことである。
フルハルターさんなどはそれで個性を演出している訳で、ここでは付加価値と捉える。
いくら知識や技術があっても、所詮素人がペン先に手を出してはいけないのである。
万年筆を使い始めの時(今でもそうだが)、求めるペンに対して筆記のイメージが頭に出来上がっている事が多いと思う。
そのイメージ故に「インク出が少ない」とか、思い通りにいかない結果、ペン先を研ぐという方向へ行ってしまう。
自分もそうだった。
何本も万年筆を駄目にした。
そして、研いで貰った。
そして、“削った”書き味になった。
そして気がついた。
その万年筆の購買ターゲット、つまり、設計思想をまるっきり無視していたのだ。
極端に言うと、それは(OB)のペン先を使い難いからといって無理やり研ぎ出したりするようなものなのだ。
だったら、元々(OB)などという字幅を選択しなければ良いのだ。
だいたい、同じ万年筆でもその日の体調によっては感触が変わるものだ。
昨日まで至極の書き味だった万年筆が今日はとっても嫌な書き味に変わっていたりするのだ。
それは感覚、“脳”の仕業であり、万年筆の仕業では無い。
これから万年筆を買おうと意気込んでいる諸氏に言いたい。
“スィートスポット”
それこそ、己の“脳”が作り上げた
『幻想』
であると。